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新チョイ悪おやじ

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私、生まれも育ちも新宿です。
歌舞伎町のネオン街で育ちました。
新宿区立の小学校を優秀な成績で卒業しました。

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さわやかおやじのさわやかブログ

「チョイ悪おやじのムフフなブログ新館」もよろしく!
May 23

1988~1990 多恵子 その3

 多恵子とのただれた、ある意味では充実した生活が1年続いた。
 
夜、会社が終わると、私が一人残業している会社へ来るまでやってきて
 
応接室でペッティングやらフェラ。  
 
 いや~事務所でのいかがわしい行為は、結構面白いです。
 
遅めの夕食、カラオケスナック、H。こんなデートが週2~3回続いていました。
 
相変わらずチューチュー鳴くこともありましたが、次第に声も出すようになり、
 
不満の点といえば、締りが悪いこと。指での触診では、あまり、筋肉が発達しておらず
 
名器体操をしないで年をとってしまったような感じ。とにかく、入れても、気持ちよさが感じられないのだ。
 
有り余る性欲を処理していただいているのでありがたかったが、マンネリ気味の関係にいつしかなって行った。
 
ある晩、酔った多恵子が私に向かって「早く広島を離れて東京へ帰って、若い女と結婚しろ」と絡んできた。
 
そして一方的に、もうあわない!宣言
 
女心がまだわからなかったころの私は、しばらく様子を見ることにしました。
 
逢えないまま、6ヶ月が過ぎた深夜、酔った多恵子から電話が掛かってきました。
 
「苦しい、殺してくれ~~~~」     まさか、本人の希望でも、手を下すわけにも行かず
 
とりあえず、後日、逢おうということになりました。
 
そして、当日、会社に現れた多恵子が乗ってきた車は、なんと、見るからに安い軽自動車でした。
 
ちょうど前の月、マツダからマイカーが届いたばかりで多恵子を乗せてスタートすると、私のことより、
 
車のことへの質問ばかり。
 
これ高いよね。なんていう名前の車?いくらした?このスイッチは何?今、車がしゃべったよね?
 
私が買った車は、当事マツダでも一番高いスポーツカー。約700万しました。今では珍しくないですが、テレビやナビがついた
 
車で、フェラーリやポルシェ並に早かったです。
 
久々に会った多恵子から、近況報告がありました。 また、あの警官と付き合いだして、
 
とことんむしられて、愛車ブルーバードを手放し、貢いでいました。
 
久々のHを楽しみ、月1回くらいのデートが再開しました。電話は週3回くらい。携帯のない時代です。
 
テレホンカードが大活躍しました。
 
そして、しばらくたった頃、電話で話しをしていても、デートの日取りがなかなか決まらなく
 
なりだしたのです。来週の水曜は?とたずねても、うーん、ちょっとだめ。じゃあ、木曜は?
 
木曜はだめなの。のらりくらりで1ヶ月1回が2ヶ月1回になり、やがて、私が我慢できずに、
 
腹を立ててしまい、いつなら逢えるの。逢える日でかまわないよと、いっても、はっきりした返事が貰えず
 
電話をたたきつけて切ってしまった。
 
その日、深夜帰宅すると、留守電に多恵子から、謝りの電話が録音されていた。
 
それ以来、多恵子を見ていない。
 
 
 
January 07

多恵子1988  その2

多恵子1988 その2

寝物語で、語りだした多恵子の男性遍歴は、

今はお局様だが、若いころは普通の乙女だったので、普通に恋をしたりもしたが

処女を失ったのは遅く、会社に入社した後だった。行きつけの店で知り合った

男に心を奪われ、ついには体を許してしまったそうだ。

男に妻子がいるにもかかわらず・・・・・・・・・。

この関係はずるずる後を引き、貢いで男に小遣いを渡すようになっていった。

男の職業は警察官だった。最初はお金を貸してくれてといわれ渡したのがきっかけだったらしいが

男が夏休みに子供と沖縄へ行く旅行代まで出してやるまでエスカレートしていった。

多恵子もこのままではいけないと考え、男と会わないように距離を置き、関係を絶った。

その後、2~3人の男と寝たそうだが、男の性欲処理専門で、自分が満足するようなセックスは

したことがなかったそうだ。殺伐とした気分の中、会社ではお局様と怖がられ、家では邪魔者扱い

されていた頃、私と知り合ったそうだ。

私に抱かれた後、「ありがとう」と言ったのは、初めて絶頂感を味わった喜びから出た言葉だったそうだ。

当時私は、「花の独身貴族」。貯金もせずに給料はすべて生活費というか遊興費。多恵子を誘っては

食事をしてそのあとは、多恵子をよく抱くようになった。

困ったのは、多恵子が私の家に入り浸るようになったこと。夜、外で食事をして、私の家に行き

布団の上で激しく燃えた後、一休みして早朝家に帰るということが多かったのだ。

私は、安普請のマンションよりも、豪華でエロっぽいラブホテルへ行きたかったのですが、多恵子が

ホテルが嫌いというもので家で済ませることのほうが多かったです。

年は行っていても娘に変わりはなく、多恵子の父親がある日、多恵子に、どこで何をして遊ぶのもいいが、

朝帰りだけは止めてくれと説教されたそうだ。それからは、深夜に彼女が帰宅できる

ラブホテルデートが多くなったが、ゴルフ教室の研修会前夜は私の家に泊まりに来るようになった。

こうなると半同棲状態と見られても仕方がない。夜通し、女体の神秘を研究し、明け方までいじくりまわし、

うとうとしだすのが5時頃。あやうくゴルフに遅刻しそうになったことも片手では収まらない。

何回も二人そろってゴルフ場に遅刻寸前にご到着なんて、周囲から見れば怪しかったでしょうね。

スナックのママさんとは、何十回かお手合わせをしていただいたのですが、私が多恵子と

関係を持った頃、ママさんも、常連客の中の、有名企業の支店長を新しい彼氏としたので、

私とはなんとなく体の関係はなくなり、普通のお客に戻っていました。

話はそれますが、今思い返すと、この頃はまじめにゴムを使用していました。

年上の多恵子は、よく尽くしてくれました。あるとき、海外旅行へ行く際に夜広島を新幹線で出発して

新大阪で宿泊。早朝の伊丹出発というスケジュールのとき、夜の新幹線ホームに手製のお弁当を、

旅行へ行く人数分作って見送りに来てくれました。普段料理をしない多恵子が夢中で弁当を作っている姿は、

家族も驚いていたそうですが。

危険日以外は中出しを当然のようにするようになったのは、付き合いだして一月経った頃でしょうか?

ある日、多恵子から、来るものがこない。2週間遅れていると相談され、すぐ病院へ行くよう言いました。

病院の門をくぐる恥ずかしさを理由に渋っていましたが1ヶ月遅れたときに、決意して病院へ行きました。

結果は、ただの生理不順。病院の先生が言うには、Hなしの期間が数年あったあと、性交渉を連続して行うと、

生理不順がおきるそうだそうです。この話には病院から帰った翌日生理が始まったというおまけまでついていました。

多恵子のおかげで中出しの気持ちよさを覚えたのかもしれません。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

January 06

多恵子1988その1

多恵子1988 その1

 

広島に本社を置く大手磁性体メーカーのお局様「多恵子」との物語。
 
毎晩のように飲みに行くスナックのママさんが(いずれこの話もアップ予定)
 
通うゴルフ教室に、当時ゴルフを始めたばかりで、一向に上達しない私が通い始めて
 
3ヶ月ほどたったころ、そのゴルフ教室主催の研修会への参加が許された。
 
コースへ出ても良いという判断をコーチがしたようだ。
 
ママさんは、何年も通っており、研修会へは毎回参加しているので
 
研修会の様子を聞くと、面白い生徒と顔馴染みなので、同じ組にしてもらおうということになり
 
初めて一緒に回った組の中に多恵子がいた。
 
多恵子は見るからに、賞味期限を少々過ぎた口うるさいタイプというのが第1印象。
 
ただ、口を開くと結構かわいい声をしており、自虐的なギャグを交えて話が面白いので、
 
第1印象とは裏腹に好印象を持って、研修会は終了した。もちろん身長は150センチ台。苦笑。
 
お局様らしく、持ち物には、かなりお金のかかっている物があったが、全体は化粧を含めて質素だった。
 
芸能人で言うとちょっと昔の山口智子に似ていた。
 
研修会は月1回、河川敷のゴルフ場と普通のゴルフ場と交互に開催されていた。
 
3回ほど研修会で顔を合わすうちに次第に、お互い冗談を言い合うような仲になっていった。
 
私より5つほど年上の女性らしいという推理はしていたが、結局最後まで年齢不詳のままだった。
 
ある日、研修会でラウンド中、パットの勝負に夕食を賭けたところ、私が負けて(わざとではなく実力で負けました。)
 
夕食をご馳走することになった。
 
夕食の際に交わす会話は、お互いの探りあいのようなもの。ましてや、初めて二人だけの食事だから。
 
「彼女はいるの?」「彼氏はいるんですか?」「家はどこ?」「好きな食べ物は?」
 
これじゃまるでお見合い。
 
会話の面白さに、惹かれていった私。食事の後はゴルフ教室を紹介してくれたスナックのママさんのところへ。
 
さんざん飲んで歌って、酔った勢いでドライブへ行く約束をとりつけました。
 
2~3回ドライブへ行ったころでしょうか、シフトレバーを握る左手で彼女の右手を握りました。
 
あとで多恵子に聞いたところ「来た、来た」と思ったそうです。
 
私のマンションでお茶をすることになり2DKのマンションに立ち寄りました。
 
コタツでお茶をして会話をして、ついに押し倒してしまいました。
 
すかさず耳元で「お布団敷いて」とおねだりされてしまいました。
 
自分でも驚く速さで布団を敷いてスタンバイ。横になってキスをしながら多恵子を剥き始めたのですが
 
なんとスカートの下はガードルでぴったりガード!一人で脱がそうにもなかなか脱がせることはできないものだと
 
このとき学習しました。今ならはさみで切るのもプレイのうちと、割り切れるのですが・・・・・
 
お相手の彼女の協力がないと脱がせない代物ですね、ガードルって。
 
ブラは難なく片手で後ろのホックを外せたのですが、乳房の下のワイヤーが肌に食い込んでブラが
 
外しにくかったことを覚えています。外した跡は、赤くワイヤーのあとが残っていました。ミジメ~!
 
70Bと目視測定しました。陰毛は薄めで陰唇は小ぶりで、淫水焼けのような色もついておらず
 
あまり使っているようには見えませんでした。お汁の量は少なく無味無臭系でした。
 
キスから愛撫に移り、熱い息と同時に声が漏れてくるのが普通だと思っていた私が見た光景が
 
衝撃的だった。下唇を上の前歯できつく噛み、声を必死にこらえる表情が見えたからだ。
 
その押さえた口で呼吸をしているのだろう、チューチューと、子ねずみが鳴くような音を口から
 
出していた。この癖は、情交を重ねて2ヶ月くらいたつまでは、なかなか取れなかった。
 
挿入してみると、圧迫感もなく、あまり性能がよくないような感じ。指で確かめると、確かに、襞(ひだ)
 
は、幾重にも連なった管になっており、単に締りがやや悪い状態。性器全体は前述のとおり、あまり
 
使い込んでおらず、下腹部全般を観察しても出産経験もない様子。感度は感じているのでまずまず。
 
総合評価で行くと、(松竹梅で言うと)梅に分類できるかもしれない。
 
冷静に観察しながらプレイを進めていくうちに、やがて、体全体に震えが起こり、「達した」みたい。
 
相変わらず声は出ない。チューチュー音だけ。ねずみ女とやったみたい。
 
体を離すと、「ありがとう!」と言って抱きついてきた。目には涙があふれていた。
 
その後、文字通り寝物語に多恵子が話す男性経験の話が変わっていた。
 
つづく
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
November 29

新編開始予告

明子さんの思い出話を木曜日、吹き上げの居酒屋でしてきました。
 
気分も新たに新しいお話をしようかと準備を進めています。
 
もう少し私がかかわるお話が読みたいとの熱心な読者の方からの要望がありましたので
 
うざくならない程度に私が随所?に出てくるお話を近日中にアップしますね。
 
「稀三子」
 
「紫乃」
 
「節子」
 
と続々アップ!女の人生シリーズです。
October 22

明子その6

明子その6

 
名古屋での夏海は、再び美容師の生活からスタートした。
 
霊能者によれば、夏海は日本海側に住んではいけないそうで、住めば必ず自分にも周囲にも
 
悲しい出来事が起こるということだった。太平洋側の大きな町で暮らせば災いは起きないとも告げられた。
 
名前も、できれば変えたほうがよいといわれ、40を前にして、夏海というのもおかしいので、明子と変えた。
 
アパートは1階で大家さんが果物店をしているビルの2階。2DKで4万2千円だった。
 
場所は昭和区阿由知通り。前科がある夏海を雇ってくれる店は少なかったが、名古屋でも下町の
 
風情が残る界隈だったので、夏海を温かく迎えてくれた。美容室の経営者は年配の女性とスタッフは、
 
ほかに中年の女性一人の小さなお店だった。客の大半は、近所の商店街の奥さんや、
 
近くの住宅街のご隠居といった、比較的年齢の高い客を相手に、のんびりした店だった。
 
長年勤めていたスタッフが、持病が悪化して辞めたため求人広告を出していたのを
 
夏海が見つけたのであった。夏海という本名を知っているのは経営者だけであった。
 
古くから、この地で営業している店はなじみ客が多く繁盛していた。
 
「明子さんは、腕がいいわねぇ、前はどこのお店にいたの?」とよく客に聞かれた。
 
「北陸の芦原温泉で勤めてました。」
 
「ねぇ、まだ独身なの?男がほうっておかないでしょうに」
 
客の歓心は新入りの夏海に集中したが寡黙な彼女に深く質問する客も少なくなり、
 
次第に店に溶け込んでいった。
 
この美容室の近くにある居酒屋に、繁茂に出入りしていたのが私なんです。
 
居酒屋のおばあちゃんもこの美容室へよく行っていたそうです。
 
過去形で表現したのは、もうこの店が存在しないのです
 
夏海が勤めだして4年。美容室の経営者があっけなく病気で亡くなり、
 
店をたたんでしまったからなのです。
 
当分は食うに困らない蓄えもあり、あわてなかったが今後の身の振り方だけは考え出すと
 
夜も眠れない日があった。
 
そんな折、大家さんから息子が結婚して戻ってくるので、部屋を明け渡してほしいと申し出があり、
 
移転費用から、新しい住居の頭金まで全部出してくれて近くの賃貸マンションに引っ越すことになった。
 
心機一転、職探しをしようとした夏海が、見つけたのが、自分の越してきたマンションの2階の空き店舗だった。
 
1階はスタンドバー、3階から上は住居となっている。2階の店は、狭くて、10人入れない店だったので、
 
借り手がつかないままでいた。借りてくれるのだったら家賃は安くするという不動産屋に、
 
すぐ契約をして、始めた商売が「カラオケ喫茶」だった。昼間は喫茶。夜はスナックに
 
なる店で、店名は「明子」とした。料理の腕は大して必要のないパスタ類と、コーヒー中心でスタートした。
 
周辺に、カラオケで歌える店がなかったので、毎日そこそこの客が来ては歌っていた。
 
ある日、地元のチンピラがいわゆる「みかじめ料」を集金に来たが追い返してしまった。
 
翌日から、毎日昼になるとやってくるようになり、あまりにも怖かったので、つい、
 
「私はこう見えても、大阪は八尾の○○組の横山の女だ」と言って脅かしてしまった。
 
その日以来、チンピラの嫌がらせは来なくなった。
 
その日も常連の居酒屋帰りのグループ(私です!)が帰った後、店を閉めようかと
 
洗い物をはじめた時ドアが開き一人客が入ってきた。「ごめんなさい、もう閉店なんですよ。」といったが、
 
客はカウンターに腰を下ろし顔を上げた。
 
洗い物の手を止めて顔を上げる夏海。その客は横山だった。
 
「よぉ、明子さん!久しぶりだなぁ」
 
声が出せずに懐かしい顔を見たまま、口だけパクパクする夏海。
 
「お前、この辺の地回りに俺の名前を出したろう?」
 
「参ったぜ、親分は、名古屋まで女を作っているのかってね、ずいぶん冷やかされたぜ」
 
店内を顔を回して一瞥した横山。
 
「それにしても小さい店だな」
 
「店、もう終わるんだろう?一寸出ないか?」
 
店を出ると小さな踊り場には、屈強そうな男が一人立っていた。
 
夏見にも、横山にも頭を下げた男は階段を降り、駐車していたベンツの横に立つ男に合図をして
 
ドアを開けさせた。車に乗ると、横山は「ホテルだ」と告げた。
 
金山の全日空ホテルまで10分もかからずについた。
 
スイートルームに入ってから横山は、ルームサービスで取った酒を飲みながら夏海と思い出話や
 
最近までのいきさつを話し合った。饒舌な横山だった。
 
「あんな店やめて、近くに小料理屋があるんだが、そっちをやってくれないか?」
 
急な横山の申し出であったが引き受ける夏海。
 
今の店から車で10分ほどの、今池という繁華街にその店はあった。
 
いわゆる横山が率いる関西系の暴力団の企業舎弟の企業が経営する店だった。
 
「組から離れているので信用できるやつに任せたかったんだよ」
 
後からわかったことだが、名古屋の組から、横山の名前を出した女の情報が行くと
 
横山は、あわてて、店を探して夏海に与えるべく準備をしたという。
 
明子の店に来てくれた常連客には何の挨拶もできずに店を閉めてしまったが、
 
今池の店は、所詮世界が違う人間の住む世界に近い店。
 
どこで、迷惑がかかるかもしれないと思い不義理をしたことには謝っても謝りきれないが
 
忘れてほしいそうです。
 
今は名前も、女将さんの和子として毎晩店に出ています。横山は月に2回ほど来るそうです。
 
こんな女の半生もあるんですねぇ。
 
 
明子 完